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2021-06-01 13:30:00

神経症と強迫観念症と自我と悟りと服従と修行と迷妄と知識

神経症とは、神経症に生まれて来る事は仕方が無いことである。人生には身体の障害、知能の障害、精神の障害が実在する。自分より上を見たら羨ましく思う。自分より下の人間を見ても気にも止める気はないし自分とは無縁の事と思っている。人は五体満足で健全な精神状態で万人の知能を持って生まれたから満足できるようにはなってはいない。幸せとは幸せを知る事で幸せを掴む事ができる。自分より上の境遇を欲して自分より下の境遇に不満を抱くのは感情が自分の人生の優先的にあるからである。その「ものさし」の中では幸せを掴む事はできない。片脚の無い者から学んで、生き方を見習い共感する。人生においてどうする事もできないという不幸には「その部分」では一切の甘えや希望は存在しない。泣きたい時は1人で泣くしかない 悔しくてもどうすることもできない 天に服従して地に抱かれる事しかできない 予測不能な不自由な精神の活動に合わせて生きる事しかできない 神経症とはそういうものである。ただ精神だからわかりにくく扱いにくく時間がかかるのである。

 

強迫観念症とは、森田先生は強迫観念症のみ発症する人もいると言っています。それは長年の診察で出会った実証があるのでしょう。強迫観念症というのを例えるなら、ことわざで「地震雷火事親父」とありますが、「強迫観念地震雷火事親父」となります。これは避けれない恐怖度の順番を表してます。普通は神経症の中に強迫観念症がある感じですね。神経症が基盤にあってその中に強迫観念症がポツポツ現れる事になります。これも「主観による恐怖状態の悟り」で持ちこたえる事が可能です。

 

自我は自らの欲望である。自我は自らを危険から守ろうとする。自我は本能であり自己の欲望である。潔癖症の人が手洗いをやめれないと訴えるのは人一倍自我の欲望が働いているからである。潔癖症の人が手洗いをするのは汚れたと思っている時である。これは自我の防御反応なのである。自己を守ろうとする為に恐怖を起こす事で衛生的に清潔であろうとする高貴な自我の現れである。簡単に言えば釈尊の唯我独尊というのは神経症の自我の高さなのである。しかし、潔癖症の人は汚れたから手を洗っているが、本当は汚れた事で「恐怖」しているから何度も何度も手洗いをしてしまっている事に気づいていないのです。汚れた事に「怯えてる自己」にきずけていれば自ずと手洗いを控えめにしていくのが人であり理知の力であり、手洗いが出来なくなってしまうものです。だってそんな自分は「恥じる」べき存在であり、直すべき存在でもあるからであります。これも自我が教えてくれるんです。潔癖症の人が汚れた事よりも汚れた事で「恐怖している事」に本当に気づいたら潔癖症は治っていき、最終的には自ずと適度な手洗いができるようになっていくのです。しかし潔癖恐怖は消えないし、本来消えなくてもいいのです。消えてほしいと思ってしまうのが「本心」であるが消えないから仕方がないのです。神経症の人は自己の「本心」を知ることも非常に大切です。綺麗なら嬉しいし汚れたら不快なんです。潔癖症の何度も何度も洗ってしまうのはそれだけ清潔でありたいと欲している証拠であり汚れたくないという自我の防御反応であり生存欲であり本能なのです。欲望には必ず恐怖がついて回ります。生きたいから怯えるのです。大切な物を無くすと思うから怯えるのです。仮に潔癖が無い人は汚れてもなんとも思いません。ですがなんとも思わないと言う事は不潔であり、不潔がゆえの病気にかかりやすいのです。大切な物を無くす恐怖があるから大切にできるのです。潔癖症の人は手を洗えば洗うほどに体は綺麗にはなるが、恐怖は増していくというなんとも「あわれな」状態に入っていきます。自我の欲望が強すぎるからバランスを崩してしまい真実が見えないのです。自分は汚れたくなくて汚れを気にする病気にかかっている状態ですからね。潔癖症の人は洗えば洗うほどに潔癖症が増していくんです。汚れた事に恐怖しているから手を何度も洗うんです。だから洗えば洗うほどに恐怖も増していくのです。ですが神経症というのは場面は違えど皆こんな感じで対人恐怖症も不眠症も結局は感じや場面は違えどおんなじなのです。ここに「主観的な恐怖の悟り」が役立つ訳なんですね。常に恐怖の位置にいたら薬など使わずに乗り切れるから不思議なものです。潔癖症の人は汚れた時に汚れた事で我慢して恐怖していれば良いのです。神経症の人は自ら恐怖を増すようにする思考の癖があるんです。手洗いがしたければ普通の人のように適度ですればいいのです。汚れた時やトイレからでたら手を一回洗うぐらいで十分なんです。元々何度も洗う必要がないし森田先生なら水や石鹸やその時間も無駄というでしょう。

 

 

悟りとは主観的に恐怖になった位置にあるのである。悟りの中には服従がある。汝らが想像する悟りは楽になれるが如く又は自由が得られるようなものだと思っているが、それは安易な考え方で悟りに至る前の段階である。悟りとは四六時中恐怖を恐れている状態にある。例えるならライオンや熊が入っている檻の中に自分自身が入っている状態である。例えるなら断崖絶壁に立たされているが如しである。常に恐怖と隣り合わせ状態であり状態にある事を忘れていない主観的状態である。この状態になれるのは服従しきっているからである。ではなにに服従しきっているのか説明しよう。それは神経症と強迫観念症の根底に潜む恐怖感情に服従しきっているのである。では何故服従してしまったのか説明しよう。それはこれを知りきったからできる事なのである。もし恐怖に四六時中警戒していなければ不意にくる恐怖に一発で倒されてしまうからである。神経症や強迫観念症の恐怖は人では勝てないしどうする事もできない圧倒的な強さである。自然界で例えるなら地震や雷であり人では到底太刀打ちできないのです。必然的にこれしか手段がなく、しかも偶然的にここにしかやり過ごす事ができない神秘的ともいえる唯一の主観的な位置であり恐怖を捉える方法なのである。今までのように恐怖に倒される事もなくなるのでこれを悟りとよぶのである。しかも服従がつきものなので、これを完治する事も不可能であるからして呼び名も悟りと呼ぶのである。森田先生は悟りを知っていて尚可ここに辿り着けるよう説明してくれています。私がこれを知り得たのも全て森田先生の後押し無くして辿り着く事はできなかったでしょうから教えて頂いた感謝の気持ちは生涯消える事はないです。この悟りを知るまでを森田療法とあるのです。ブッダや老子の悟りは思考を超えた「そのまま」になった状態だと思うから、滅多にそのような人物は現れる事はないでしょう。3000年に1人いるかいないかくらいの割合と思っていて丁度くらいであり、まさに神の領域としか表現のしようがない人物であり、また知り尽くしていないと辿り着く事のできない境地なので尊敬せざる負えないのです。

 

服従とは奴隷になる事でも土下座する事でもない。めんどくさいようなタルいようなものでありそれで良い。服従の意味を知ったならそれ程嫌なものでもなく、中間のようなものとも言える。生きていく上で仕方のないものでもある。いち例を上げるなら人は皆国に服従しているのである。服従しているから不幸ではないのであり境遇に服従できているから幸せを探せたり笑ったり悲しんだりできるのである。完治のしない病気に服従するのもこれとおんなじことなのである。

 

修行とは日々にある。神経質の全てを悟ったブッダは山で修行を選らんで頂きまで至った、永平寺の寺に籠もる修行もある。しかし私は実社会の中で修行せざる負えなかったし、それはそれで神経症の観点から見ると正道ではある。おそらく老子と言う人もこの道を通っているように思える。彼が残した言葉の節々に私の体験がピッタリと当てはまって行くからビックリである。実社会での修行は並々ならぬ苦労であり過酷であり失望や失うものを伴なう事になる。修行とは山でも寺でも社会でもなく、神経症についてどれだけ苦悩して苦労して失敗したかにある。神経症に対して苦悩や苦労した分量が増えれば増えるほど経験は知識となり、神経症を解体して克服というか合体というか一つの1人の生命体として新たに生まれ変わっていくのである。神経症の人や強迫観念症の人は毎日神経症や強迫観念症の症状に出くわす事になる。つまり同じ道を毎日通る事になっている。毎日通る道でも本人が変わればおんなじ道に悟りが存在している事に気づいていく。これこそが神経症の反復修行になっていて10年くらい反復していく中でようやく気づくに至るのである。

 

迷妄を迷妄と理解しているか?迷妄は火に例えよう煩悩の火はどこまで考えて答えを出そうとしても迷いなのである。灯台下暗しの如し出発点から間違っていればどこまで考えても迷妄の火は永遠に消える事はない。悩みの根源である恐怖はこの場合火種であり、その火種に気づき火種を見つめていく事が正解であり人は火種を見つめる事以外なにも出来ないのである。火種である恐怖自体は体感でも感じ取る事ができるが、火種である恐怖の根底を探っていくと透明であり無としか言いようがなく、感じ取る事も検知する事もできない見えなくて透明な物であるが決して無いものではなく無くなるものでもない透明な物として有る物である。普通人は前を向いて歩いている前を向いて歩いていると足下やつま先は見えにくく見えないものである、これが恐怖の根底に潜む恐怖を生産し続けている無としか表現できない透明なものであると例える事もできる。この透明な物から神出鬼没に恐怖は湧き出てくるものであり、透明な物を円で例えるなら360度どんな悩みが来るのか解る事は誰にもできない。その恐怖を煩わしいと思いもがいたり考えたりする所に神経症が生まれたり強迫観念症に苦しむ事になる。この透明な物から常にいでる恐怖を恐怖と理解しているなら汝は自ずと恐怖せざる負えなくなり、その恐怖はいつぞや消えたかわからないくらいの物になる。その恐怖に苦しみ迷う時間が短くなる事は解決に等しいが如しである。またそれが正解なのである。

 

知識を万能と思っている内はまだわかっていない。頭で神経症と強迫観念をまさぐり続けたり、考えて悟ろうだとかしてる内は気づいてはいない。勿論気づくためには必要な事で、また避けては通れない道でもあり、事実を探すには当たり前の行為である。知能で知識で神経症も強迫観念も動かす事はできない。来る日も来る日も考えて日々を失敗して間違えだらけで諦めてそれでも生きていたら知識ではどうする事もできないとようやく気づいた時に答えがあり、汝は何もわからぬ赤子のように強迫観念にひれ伏しざるおえなくなる、また、それが正解なのである。木は真っ直ぐではない、真実の言葉は曲がって聞こえる。この声を聞いた者よこの声をわかる者よ、この一風変わった精神活動に苦しみ迷い振り回されながらも学んでいこう、そして笑おう。いつしかこれを知りえる者よ諦めなければ知識は汝に真実を照らす。その距離は迷い続ける事10年くらいである。

 

 

  2話 名医と医者

ここはとある地方の医師会の会議室。医者「えー、本日は皆様お忙しい中お集まりのほど、非常に恐縮であり、まことにありがとうございます。現在神経症についての見解は難解であり、我々の打つ手が見当たらないのが現状であります。従って今まで通りの治療を行っていく所存であります。異論のある方おっしゃいましたらなんなりとどうぞ。」名医「今まで通り話を聞いて薬を出すという事ですか?」医者「そうです。なにかいいたそうですね?」名医「薬は一時的に軽快する事はできるでしょう。」医者「それでいいじゃないですか。」名医「なにがいいんだっ!?」ドンッ!と机を叩いて怒りをあらわにした名医。名医「薬は確かに一時的に軽快にしてくれる。しかし神経症は不治の病。長く薬を飲む事になる。10年も続けば内臓はどうなる?」医者「では君はどうしろというのかね?治療法が解らない問題に対して薬を用いるのは仕方のない事ではないのかね?癌だってそうじゃないか。」名医「しかし、神経症は癌やエイズのような外敵な要因だけではなく、内面的つまり精神的な要因が大きい。つまり、自分次第では人生を切り開く事ができる不治の病でもある。その芽を薬物で潰してしまうのは遺憾である。」医者「君はなにを言っているんだっ!!よくそんな自論をやすやすと言えたものだ!!」名医の聞いて呆れる言動に医者も怒りと困惑で抑えきれなくなりそうである。医者「まあいい、決定権は君ごときには無いのだから、勝手にやっていたまえ!」

  

  3話 名医と医者

 

今日もまた1日が始まる。ピッピピッピッとアラームによる「おはよう」が繰り返される6畳ひと間のいっ室で起きれないでいた。1度アラームを止めて、また寝る。遅刻時間ぎりぎりで起きる朝。

話は進んで職場に到着した私はいつも通りの職場の人達に挨拶を交わし、逃げるように自分の持ち場に着く。職場に着いて持ち場に逃げるように着くまでの時間が最も長い気がする日は多々ある。

何故なら神経症と強迫観念症持ちの私は家を出てから緊張しっぱなしであるからである。家を出る前でも恐怖に襲われる日も多々ある。日々によりその恐怖感情の理由はマチマチで決まったようにおんなじではないからまた困る。

眠気と無常に重い身体は神経症持ちの午前中の独特な体調といえよう。しかしこの独特な体調も慣れても慣れても慣れない。しかしまた、午後になり時間が経つにつれ爽快になっていくのも喜ばしい事ではある。

私の工場での持ち場は軽作業と重作業の間くらいの手作業を私は毎日行っている。休みは土日祝日である。主に自動車のフロントドアに取り付けるプラスチックのノブとノブの間に取り付けるステーのバリ取りと部品清掃などが担当である。入社して3年目特に周りから期待されてるわけでもなく平社員としてひっそりと働いている。

仕事の休憩に入った私は次の診察の日にちを確認していた。

休憩が終わり持ち場に入る瞬間それは起きた。ある恐怖感情がどっと現れ私はそこから2時間の間その恐怖感情に支配されたままであった。仕事中ではあるので、勿論作業は止めれない、いてもたってもいられない私は強迫観念に支配されたまま冷や汗をかいている。作業効率を考えると普段なら落ちついてできる事すらヒヤヒヤしながら行うはめになる。私には2人の医者から診断方法を教わっている。

1人の医師にはそのままヒヤヒヤしていて下さい その地獄こそがあなたのモチベーションであり真理は真逆で、その地獄のモチベーションがあなたのモチベーションだと教わった。

もう1人の医師からはヒヤヒヤがきたら薬を飲んでくださいと伝えられている。私はとりあえず薬を飲んで見た。するとヒヤヒヤも恐怖感情も消えてなくなっていくのがわかった。

 

  4話  名医と医者

クリニックの医者は朝からウェイトトレーニングをしている。ありがちな部屋で走れる機材の上でオレンジジュース片手に早歩き程度の速度で優雅さを漂わせている。

かれこれ15年は忙しく働いている。医者という仕事は、はたからみるより格段に大変なものである。ジャーっキュキュっと朝シャンを済ましてバスローブにタオル片手でキッチンに戻る。トーストと目玉焼きをカリカリと食べ終わるといよいよワイシャツに着替え白衣片手に家を出た。医者「今日も雨かぁ、最近続くなぁ」医者は雨を気にしていた。

病院に向かう途中、背中を丸めて何かに怯えるようにあるいている男性に目をやる。医者「あれっ、あれは!」何かに思いだしたようにベンツのハンドルをゆっくり切っている。バックミラー越しに映る姿は紛れもなく最近自分が請け負っている神経症患者である。医者「彼は真面目すぎるんだよなぁ」片耳にラジオを聞きながらぼやいた医者。

   

  5話 名医と医者

名医「さて、そろそろ始めようか。」私「はい、先日仕事の休憩からあがる瞬間にそれは起きました。」私は事細かに名医に話しました。

名医「それは強迫観念というのだよ。君はその時どうしたんだね?」私「私はヒヤヒヤが止まらなくて、医者から貰った薬を飲みました。すぐ楽になりましたよ。」名医「君の選択は間違ってはいないよ。しかし、正解でもないよ。」私「じぁあどうしたら良かったんですか?あの瞬間頭は真っ白になり、全身からは冷や汗をかき2時間くらい囚われっ放しでした。いつもなら簡単にできる仕事も落ち着いてできなくてどうすることもできませんでした。」名医「実は私も神経症持ちなんだよ。私は薬は使わないで、ただその恐怖がさるのを我慢して待ったんだよ.。待っていたら何とも言えぬ表現のしようのない爽やかな気持ちが現れたんだよ。」私「わっ私にはそんな事できません。ですが時間が経てば強迫観念は去ると言う事なんですね。」名医「うむ。」

 

医者「こんにちは、最近の調子はどうですか?」私「先日仕事の休憩を上がる瞬間それは起きました。」私は事細かに医者に話しました。

医者「それは大変でしたね。薬が効いたようですね。しばらくはいつ強迫観念が来るかわからないので更にお薬を出しておきましょう。」私「はい、お願いします。」医者「とりあえずそうこうしているうちに無くなっていきますよ。先日私がおすすめした趣味は見つかりましたか??」私「とりあえずサーフィンでも始めてみたいと思っています。」医者「それは非常に良い事ですよ。君は真面目すぎるから気楽な感じで良いでしょう。まずは細かい事は気にしない事です。常に楽しい事に目が行くように心がけて自分自身が楽しい方向にいけるような事を考えて将来的な人生の方向性なども考えていきましょう。」私「はい、ありがとうございます。」

 

   6話名医と医者

医者は朝からユーチューブでニュースを見ていた。最近巷を賑わせ続けているコロナと言うウィルスについてだ。医者「いつになりゃ無くなるんだ。まったくっ」医者はオレンジジュース片手にいつも通りのランニングマシーンに乗っている。連日の食事会などでだいぶ、脂肪のたまざる終えない生活を強いられている。医者にとってはなんとも出世したい。ましてや落ちていく自分など有り得ないのである。人情というものである。医者「次の医師会は来週かまたあいつが変な事を言い出すんだろうな、まったくよくあんなので医者になれたものだ!」

 

名医は朝から薪を運んでいた。彼の住まいは山奥にある。自然が好きなのかよくわからないが、医者の癖にボロボロの家に住んでいる。名医「昨日の雨で薪が湿っているな。」名医は薪をしまうのをやめて庭に放りおいた。今の時代に暖炉は珍しい事だ。電気がない家それも名医の家だ。名医「彼は私以外に医者にも診察を受けていたのか、彼は薬物療法を選ぶかもしれないな。」名医は最近自分が請け負う神経症患者の事を考えていた。名医「実際神経症患者の8割は薬物療法で人生を過ごしているのが現状であり珍しい事でもないし、私には止める権利も止めたいとも思っていないからどうでもよい話しではあるが。」桑やスコップを荷馬車に積んだ彼は荷馬車を引きずるように山奥へ山道を歩いて行った。

   7話 名医と医者

「君は何度言ったらわかるんだっ!!!」医者の怒鳴り声が廊下まで響いていた。ここは月に1度の医師会の会場、30畳ほどの部屋に15人程のそうそうたる医師達が顔を見合わせている。その真ん中に座っているのが、怒鳴り声をあげた医者である。名医「老子は明らかに神経症であったと教えているんです。」医者「馬鹿な事を言うなっ!!老子が神経症であった証拠でもあるのか!君は医者の癖に空想を話すな!!!」怒鳴り声は廊下まで響いていた。名医「あなたは神経症になった事が無いからわからないんだよ!!森田先生がなぜ神経症を理解できたかわかるか?」医者「なにを言っているんだ君は!!」ドンっと机を叩く医者。医者「神経症にかかったからなんだと言うんだ!根も葉もない証拠もない事を言うな!!黙っていたまえ!!」医者「えー皆様とりみだしだしました失礼いたしました!名医に関しては医師はく奪を日本医師会の方に提出したいと思います。次の題に移ります。名医は意見を控えるように」

  8話 名医と医者

私は休みを満喫しようとしていた。朝の光が照りつけるようなよく晴れた日だ。今日は遊びに出かけよう。私は荷物も持たず車のエンジンにキーをさした。目的も決めないのが休みの日のお決まりである。工場での仕事から唯一開放されるのが休みである。私「毎日毎日大変で嫌になる。」車内での独り言も今日だけは軽快に聞こえる。デパートに到着して車から降りた、とっ、、、?!それはまた突然起きたデパートの入り口にたった時だった光の反射で自分の姿がドアに写ったのを見た私は一瞬不快な感じを抱いた。わけもわからずパニックは起きている!!私「クッそ!今日は休みだぞ!休みまで!!」それは紛れもなくこの前起こったのとおんなじパニック恐怖症だった。名医が言っていた強迫観念という奴が休みの日まで襲って来ている!!!デパートの用事も忘れ頭の中はただ真っ白になり全身は震えて目ン玉は大きくなり怯えている!どうすることもできない私は医者から貰っておいた緊急用の薬を呑んだ。私「ハァハァっ、一体何だったんだ」汗ばむ手のひらを見つめながら恐怖心がおさまっていくのが実感できた。

 

    9話名医と医者

「ハァハァっ」先日おきた強迫観念について私は名医に報告していた。説明するほどに汗ばむ手に抑えきれない恐怖心は息を切らしてしまうほどだった。名医「それは根本的には前とおんなじ強迫観念だよ、君は窓に映る自分自身を拒否したんだよ。」私「は?拒否、、ですか??」名医「そう、鏡に写った姿を見たのは1秒くらいかもしれないが、君は不快を抱いたのは事実だ。要するに思い描く自分の像と現実に写った像が違っていて不快を抱いたとも言える。」私「名医、もうしわけありませんが何をおしゃっているかわかりません、、私はただ一瞬にして不快がおこり、次の瞬間パニックになり、デパートの用事など考える余裕もなく、ただ頭は真っ白で恐怖心に怯えていました。」名医「それが君なんだよ。君は神経症と医者に言われたかもしれないが、神経症は名前でしかないんだよ。君の心や精神はそういう動きを見せるんだよ。」 1stシーズン完

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