お知らせ

2021-12-27 23:22:00

Answer

例えばここに架空の難題な問題があるとしよう。この問題には答えがある。しかし、私ではわからないから先生にこの問題の答えを教えて頂いたとしよう。先生からは解き方を教わり、先生から答えの導き方を教わり解けるようになった私がいるとしよう。

しかし、難題の答えを教わる事は大変有難い事であり、幾分の近道にはなる。答えを教わるという事は反対に自ら考え出して解いた「答え」ではないのです。

自ら出した答えと教えてもらった答えは同じ答えでも同じ「答え」にはならないのです。

お釈迦様は6年苦行の果てに自らの経験からようやく自ら答えを見つけたのです。他力と自力では雲泥の差があるのです。人から教えてもらった解答というのには「知識に隙間」ができるんです。ですから、自分で考えて苦労して失敗する事が大切になってくるのです。

複雑で難題な神経症や強迫観念症は数日あれば答えは教われるが、1つ1つ知るには結局6年以上もかかるのです。

お釈迦様の凄い所はこの複雑で難題な問いを自ら問いているのです。しかも「答え」を知ってそのまま悟りになり仰せたのです。本来それらを教えるのが仏教というのです。