お知らせ

2022-01-04 02:12:00

神経症の修行の速度

何かを会得、体得するのに3年あれば充分ではあるが、神経症自体を把握して行くには10年ほどはかかるでしょう。

その速度のイメージは亀より遥かに遅く、体感で伝えるなら砂粒を1日1個積み重ねて山を作るほどである。

老子は「万里の長城は足下より始まる」と説いている。中国のあのとてつもない長くそびえ立つ万里の長城も1段から積み重ねて行くのです。

私は来た道を振り返る事でようやく少しずつ学んできたのです。それがわかるようになればゴールがいずれ待っている事もわかるのです。

教えたくても教えれない、習いたくても習えない、知りたければ修行のような道を通るよりないのです。

釈尊は「不安は消えない」と知った、老子は「主体性は常に脅かされている」と知った、しかし肝心な事はあなたがこの「恐怖は消えない」という事を知る事なのです。この解答を知る事は単純な解答ではないのです。いくつもの経験が重なり合ってそれぞれの解答が重なり合ってようやく「たった1個の恐怖の存在」を知り得るのです。

恐怖はついて廻るのです。決して思考では消えないしいくら修行しても消えないのです。常にいついかなる時も現れたりしてしまうのです。嫌になりますよね。しかも「恐怖」が消えないんですから恐ろしい人生ですね。自分自身の性質であり欲望の現れですから仕方ありませんね。この恐怖に対して安心立命など無いと知る事が大切なのです。

これに気づくのに遥か長くとてつもなく長い道のりではあり、何千日と神経症体験をしてきて1つ1つの知識が砂粒ような量が重なり合ってようやくわかるような道であると私自身は説いています。

釈尊は29歳の時に修行に入り6年でこれらを知り得たのです。しかも前代未聞の悟りをも開いて安心立命を得たのです。私からして見てみたら早すぎるというか凄すぎるとしかいえません。釈迦や老子から見たら私はまだまだ把握程度にしか過ぎないのです。ですが大切な事は6年とか10年とかの年数ではなく悟るとか悟らないとかでもなくて「歩む」という意志なのです。まぁ歩む以外は無いんですけどね(笑)これを知る者は欲望はあるけれど、その欲望よりも自己の理性を貫き通した人達なのです。故に純粋な人ほどこれを知る事も早いでしょう。楽になりたければなりたい程にその真実は余計に見えにくくなり返って時間がかかるのも神経症です。

老子の場合は記録が残されていないからわかりませんが、道徳経を読めば彼が知り尽くしている事は読み取れます。知り尽くしているという事は同じ道を通っていた事にもなります。